僕の知るAdaptecという会社
インプレスのPC WATCHを見ていたら、元麻布さんのAdaptecについてのコラムが掲載されていました。読んでいたたら、色々と昔の話を思い出したので、SSDには関係ありませんが、僕が知るAdaptecという会社の昔話について書きたいと思います。
僕が、Adaptecの製品をはじめて使用したのは、元麻布さんのコラムにもでていたAHA-154xBというSCSIカードです。CPUは、Intelのi486でi386を搭載したパソコンを使っている人もまだたくさんいました。AHA-1540Bは、IBM PC/AT互換機の事実上の業界スタンダードとも言える製品で、それ以外の選択支としては、Bustek(その後、Buslogicに社名変更し、Mylexに買収された後、現LSI Logicに買収されました)とNCR(元はAT&Tで、その後、韓国のHyundaiあたりに買収されて、Symbios Logicになって、最終的には現LSI Logicに買収されました)ぐらいだったと思います。
当時の僕は、基本、SCSI派でして、HDDといえば、もっぱらSCSIでした。そのときは、まだ、1ユーザーでしかありませんでしたが、Adaptecという会社のことを色々、聞くようになったのは、僕がライターをはじめてからです。
というのも、僕は、光ディスク専業のライターをしていた時代が長く、CD-Rドライブを2xの時代から使用していました。まだ、CD-RWすらなかった時代で、CD-Rドライブの価格は、安価なものでも20万ぐらいしていました。ディスクは、1枚1500円ぐらいだったと思います。Adaptecは、光ディスクのライティングソフトの会社としては、草分け的な会社?だったこともあり、どうしてもAdaptecが切っても切り離せなかったのです。
その中でも僕が今でも鮮明に覚えているAdaptecの話は、当時、Adaptecが繰り返していた買収の話です。というのも、Adaptecが当時販売していたライティングソフトは、Easy CDといいますが、このソフトは、もともと、Incat Systemsという会社を買収して得たものでした。Incat Systemsは、イタリアのソフト会社でCD-R用のライティングソフトを開発した経緯は、フィリップスの依頼によるものだったとIncatの主要開発者の方から伺っています。
かなり昔の話になりますが、Incatがライティングソフトを開発していた当時は、ビデオCDの規格化を行っていたときで、ビデオCD用のマスタリングソフトを欲していたのです。Incatは、それに答える形で、ライティングソフトの開発を始めたというわけです。それを買収して、販売したのがAdaptecだったのです。
余談ですが、Incatの開発したソフト、というか、Incatの開発者の方は、非常に優秀な方が多く、結果として同じ人の手によって開発されたライティングソフトが、2度ワールドワイドでシェア1位になります。それ以外にも、同僚だった方のソフトがあり、それもOEM向けなどで今でも使われているライティングエンジンの提供元にもなっています。現在のシェアはわかりませんが、一時期、CDやDVD記録エンジンの大半は、Incat出身者が作成したものだったというのは、あまり、知られていない事実です。
ちなみに、国内では、B's Recorder GOLDが多くのユーザーに使用されましたが、B's Recorderは、僕の今でも付き合いのある友人がひとりで作ったライティングソフトです。
話が脱線してしまいましたが、当時のAdaptecの企業買収について僕が鮮明に覚えているのは、僕の光ディスクの師匠が言ったこの一言です。Adaptecは、「市場を買ったんだ」。
もう、今の若い方には当然と聞こえるかもしれないこの一言ですが、当時の日本は、企業買収というのは「悪こと」というイメージがありました。ですが、彼ら(Adaptec)はまさに市場をお金で買っていたのです。
というのも、Adaptecは、Easy CDでそれなりにシェアを得ましたが、実は、当時、北米市場では2位の座に甘んじていました。当時の北米市場のトップは、コーレルのCD Creatorというソフトだったのです。しかも、このソフト、エンジン的には色々と問題があったようですが、UIが非常に良く、人気の商品でした。Adaptecは、コーレルからCD Creatorを買収します。しかも、CD Creatorの技術者は、一人もAdaptecには、着ていません。これからも分かるように、Adaptecは、コーレルから市場を買ったのでした。これによって、Adaptecは、北米市場のトップに立ちます。
同じことをAdaptecは、ヨーロッパでもやりました。CD Creatorの買収によって、北米市場と日本でシェアトップにたったAdaptecでしたが、ヨーロッパ市場では、CeQuadratという会社のWinOnCDというソフトに勝てずにいました。そこで、CeQuadratを買収したのです。
WinOnCDがヨーロッパでトップだったのには、諸説ありますが、一説には笑い話とも取れない営業方法があったと僕は聞いています。その営業方法とは、若くて綺麗なおねーさんが、ミニスカートで営業に行き、何も聞かずに「Adaptecの半値で出します」といったとかいかわないとかという話です。若くて綺麗なおねーさんがミニスカートでというところは、実際どうか知りませんが、WinOnCDのOEM価格がAdaptecよりも安かったことは事実のようです。
Adaptecは、唯一勝てずにいたヨーロッパ市場で、WinOnCDを買収することで名実ともにワールドワイドでシェアトップのメーカーとなります。そして、冗談とも取れないのが、そのときのプレスリリースでした。Adaptecからでたプレスリリースには、ソフトがどうこうとは全く書いてなく、「CeQuadratの独自のマーケティング手法が云々」と書いてあったのです。ぼくは、若くて綺麗なおねーちゃん、ミニスカート、半値、この3つのキーワードが頭の中でぐるぐる廻っていたことを覚えています。ようするに、彼らは、ここでも市場を買ったのでした。
この話には、続きがあります。
Adaptecは、市場を買うことでシェアトップになりましたが、彼らには技術者が付いてきていませんでした。Easy CD、CD Creator、WinOnCD、と初期の開発メンバーはほとんど残っていなかったのです。それに加えて、ライティングソフトのプロダクトリーダーは、AdaptecのSCSIカード用のデバドラの開発者が担当していたようですが、優秀だったそのデバドラ開発者が、ぞくぞくと転職していきます。
結果として、ソフトのできが悪くなり、シェアトップの座を別のソフトに明け渡すことになります。劣勢になったAdaptecは、一度、退社した人をさらに引き抜き、てこ入れを図りますが、結果は、伴いませんでした。
そして、彼らをシェアトップから引きずり落としたソフトは、皮肉にも前述したIncat出身者の手によるものでした。そのソフトも、買収に継ぐ買収で、最終的にソニックソリューションズの手にわたります。そして、ソニックは、AdaptecからスピンオフしたRoxioを買収します。最終的にソニックが手にしたものは、同じ人達がもともと開発したソフトだったということになります。
ライティングソフトの世界で、2度ワードワイドシュアトップの座に付くソフトを開発した旧Incatの方の話はまた別の機会に書きたいと思います。
僕が、Adaptecの製品をはじめて使用したのは、元麻布さんのコラムにもでていたAHA-154xBというSCSIカードです。CPUは、Intelのi486でi386を搭載したパソコンを使っている人もまだたくさんいました。AHA-1540Bは、IBM PC/AT互換機の事実上の業界スタンダードとも言える製品で、それ以外の選択支としては、Bustek(その後、Buslogicに社名変更し、Mylexに買収された後、現LSI Logicに買収されました)とNCR(元はAT&Tで、その後、韓国のHyundaiあたりに買収されて、Symbios Logicになって、最終的には現LSI Logicに買収されました)ぐらいだったと思います。
当時の僕は、基本、SCSI派でして、HDDといえば、もっぱらSCSIでした。そのときは、まだ、1ユーザーでしかありませんでしたが、Adaptecという会社のことを色々、聞くようになったのは、僕がライターをはじめてからです。
というのも、僕は、光ディスク専業のライターをしていた時代が長く、CD-Rドライブを2xの時代から使用していました。まだ、CD-RWすらなかった時代で、CD-Rドライブの価格は、安価なものでも20万ぐらいしていました。ディスクは、1枚1500円ぐらいだったと思います。Adaptecは、光ディスクのライティングソフトの会社としては、草分け的な会社?だったこともあり、どうしてもAdaptecが切っても切り離せなかったのです。
その中でも僕が今でも鮮明に覚えているAdaptecの話は、当時、Adaptecが繰り返していた買収の話です。というのも、Adaptecが当時販売していたライティングソフトは、Easy CDといいますが、このソフトは、もともと、Incat Systemsという会社を買収して得たものでした。Incat Systemsは、イタリアのソフト会社でCD-R用のライティングソフトを開発した経緯は、フィリップスの依頼によるものだったとIncatの主要開発者の方から伺っています。
かなり昔の話になりますが、Incatがライティングソフトを開発していた当時は、ビデオCDの規格化を行っていたときで、ビデオCD用のマスタリングソフトを欲していたのです。Incatは、それに答える形で、ライティングソフトの開発を始めたというわけです。それを買収して、販売したのがAdaptecだったのです。
余談ですが、Incatの開発したソフト、というか、Incatの開発者の方は、非常に優秀な方が多く、結果として同じ人の手によって開発されたライティングソフトが、2度ワールドワイドでシェア1位になります。それ以外にも、同僚だった方のソフトがあり、それもOEM向けなどで今でも使われているライティングエンジンの提供元にもなっています。現在のシェアはわかりませんが、一時期、CDやDVD記録エンジンの大半は、Incat出身者が作成したものだったというのは、あまり、知られていない事実です。
ちなみに、国内では、B's Recorder GOLDが多くのユーザーに使用されましたが、B's Recorderは、僕の今でも付き合いのある友人がひとりで作ったライティングソフトです。
話が脱線してしまいましたが、当時のAdaptecの企業買収について僕が鮮明に覚えているのは、僕の光ディスクの師匠が言ったこの一言です。Adaptecは、「市場を買ったんだ」。
もう、今の若い方には当然と聞こえるかもしれないこの一言ですが、当時の日本は、企業買収というのは「悪こと」というイメージがありました。ですが、彼ら(Adaptec)はまさに市場をお金で買っていたのです。
というのも、Adaptecは、Easy CDでそれなりにシェアを得ましたが、実は、当時、北米市場では2位の座に甘んじていました。当時の北米市場のトップは、コーレルのCD Creatorというソフトだったのです。しかも、このソフト、エンジン的には色々と問題があったようですが、UIが非常に良く、人気の商品でした。Adaptecは、コーレルからCD Creatorを買収します。しかも、CD Creatorの技術者は、一人もAdaptecには、着ていません。これからも分かるように、Adaptecは、コーレルから市場を買ったのでした。これによって、Adaptecは、北米市場のトップに立ちます。
同じことをAdaptecは、ヨーロッパでもやりました。CD Creatorの買収によって、北米市場と日本でシェアトップにたったAdaptecでしたが、ヨーロッパ市場では、CeQuadratという会社のWinOnCDというソフトに勝てずにいました。そこで、CeQuadratを買収したのです。
WinOnCDがヨーロッパでトップだったのには、諸説ありますが、一説には笑い話とも取れない営業方法があったと僕は聞いています。その営業方法とは、若くて綺麗なおねーさんが、ミニスカートで営業に行き、何も聞かずに「Adaptecの半値で出します」といったとかいかわないとかという話です。若くて綺麗なおねーさんがミニスカートでというところは、実際どうか知りませんが、WinOnCDのOEM価格がAdaptecよりも安かったことは事実のようです。
Adaptecは、唯一勝てずにいたヨーロッパ市場で、WinOnCDを買収することで名実ともにワールドワイドでシェアトップのメーカーとなります。そして、冗談とも取れないのが、そのときのプレスリリースでした。Adaptecからでたプレスリリースには、ソフトがどうこうとは全く書いてなく、「CeQuadratの独自のマーケティング手法が云々」と書いてあったのです。ぼくは、若くて綺麗なおねーちゃん、ミニスカート、半値、この3つのキーワードが頭の中でぐるぐる廻っていたことを覚えています。ようするに、彼らは、ここでも市場を買ったのでした。
この話には、続きがあります。
Adaptecは、市場を買うことでシェアトップになりましたが、彼らには技術者が付いてきていませんでした。Easy CD、CD Creator、WinOnCD、と初期の開発メンバーはほとんど残っていなかったのです。それに加えて、ライティングソフトのプロダクトリーダーは、AdaptecのSCSIカード用のデバドラの開発者が担当していたようですが、優秀だったそのデバドラ開発者が、ぞくぞくと転職していきます。
結果として、ソフトのできが悪くなり、シェアトップの座を別のソフトに明け渡すことになります。劣勢になったAdaptecは、一度、退社した人をさらに引き抜き、てこ入れを図りますが、結果は、伴いませんでした。
そして、彼らをシェアトップから引きずり落としたソフトは、皮肉にも前述したIncat出身者の手によるものでした。そのソフトも、買収に継ぐ買収で、最終的にソニックソリューションズの手にわたります。そして、ソニックは、AdaptecからスピンオフしたRoxioを買収します。最終的にソニックが手にしたものは、同じ人達がもともと開発したソフトだったということになります。
ライティングソフトの世界で、2度ワードワイドシュアトップの座に付くソフトを開発した旧Incatの方の話はまた別の機会に書きたいと思います。
こんにちは、Adaptecで検索してきました。むかし皿焼きをしてたので懐かしくなり書き込ませていただきます。EasyCDと900Eの組合せは安価で使いやすく、効率が随分あがったように記憶してます。巨漢のイタリア人社長(だと記憶してます)いまごろなにしてるんでしょうね。
返信削除懐かしい組み合わせですね。
返信削除EasyCDと900Eということは、EasyCD MMですね。
Incatの社長(会長?)は、別の会社をやっているとかききました。何年か前に、ちょっと話を聞きましたが、何をやっていたか忘れてしまいました。すみません。
その後、独立してPrassiを復活させたパオロとウンベルトもどうしているんでしょうね。今は、悠々自適なのではないでしょうか。
Incat systemsに魅かれてきてみました。
返信削除Incat の社長、キャファレリさんは、tvblobという会社をやっていますよ。
懐かしい話題ですね。